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建築大工の道 2 独り立ち
 昭和30年代後半の高槻は、京都と大阪の中間点で快速電車の停車駅でもあり、工場進出とベッドタウンとして町自体が大きく発展する途上でした。最初は地元の工務店に大工として10年間勤め、田舎で叩き込まれた、豪雪に耐えるための骨太の建築とはひと味違う、古くから京、大阪の境にあって栄えた城下町の洗練された建築を学ぶ事が出来ました。
 昭和41年に親方の紹介で見合い結婚をし、1男1女に恵まれました。しかし高度経済成長期にあって、仕事第1主義で通したために、家庭を振り返る余裕すらないほど、多忙を極める毎日でした。その中で色々と人生勉強もし、様々な苦しみや悩みに出会いましたが、生来の負けん気で『苦に徹する心』をももって積極的に前進するよう努力しました。
 建築のプロとして報酬を頂く限りは、最良の仕事をして当然であり、好きな物造りで喜んでいただけるのですから、誠心誠意努力することでこれにお応えしようと言う気持ちでした。その頃仕事に熱中するあまり、作業中は人の話が全然耳に入らないという、職人気質そのままの頑固者でした。しかし経験を積むにつれて、直接お客様から仕事を頂いて、自分の差配で完成させたいという気持ちも生まれて参りました。
 そこで、仕事に熱中すると無口になり、最良の仕事を目指せば頑固に映るという短所を長所にかえて、率直さ、責任感、忍耐力で皆様に信頼を頂いていこうと考えて独立に踏み切ったのが昭和46年でした。
 独立といっても、見習いを一人連れた大工の親方で、時には家内を手元に使い、早朝から夜遅くまで懸命に打ち込んで、徐々に数名の若い職人を育てるようになりました。本格的な事業所を奈良県に設けようかと、土地の紹介を受けたのが偶然にも、当時高槻城北郵便局長さん所有の土地でした。その時「今度、局舎の立て替えをするのでお願いできないか」とのお話を頂き、それがご縁となって高槻に腰を据えて開業する事になりました。
author:kura, category:私の履歴書, 09:32
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