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建築大工の道 1 修業時代
社長同窓会 先日、中学の同窓会があったので、久しぶりに故郷で旧交を温めてきました。皆それぞれの道で長年頑張って来たのを知るのは、感慨深いものでした。これを機に建築を志して歩んできた、私のこれまでを振り返ってみることにしました。
 私が生まれたのは日本が太平洋戦争突入する直前の昭和15年です。母は産後の肥立ちが悪くて亡くなったため、義母に育てられました。京都生まれですが、終戦の前に父の郷里である鳥取県の山村に帰って、山の中で木に囲まれて育ちました。暖冬が続く昨今でも、何十センチも雪のつもる豪雪地帯です。学校まで2里の道を、冬はスキーで通っていました。家計が苦しかった事もあって学校で使う本は借り、ノート等は運動会、マラソン大会等に出るたび商品稼ぎに精を出して、それで間に合わせていました。小学校高学年から物作りに興味を抱いて、勉強机、本棚等を自分で作ったり、勉強部屋らしき物を自作して満足していました。このころ人に工作をほめてもらった事が、大工の道を志す糸口になっているように思います。
 進路を決める時、小学校のときから決めていた大工になるんだと、神社仏閣や伝統的な入母屋造専門の、厳しい親方に弟子入りしました。そこでの徒弟生活は、年中無休、夜明け前に、朝食のご飯を炊くところから始まる厳しいものでしたが、それに耐えた事によって、忍耐力が身に付き、そのおかげで皆様の信頼を得る事が出来たのではないかと、感謝しています。
 6年間の修業期間が終わってから、2年ほどは本業の大工仕事の合間に家業である林業の手伝いをして、木について成育過程という別の角度から学び直しました。そのうちにもっと幅広く勉強したいという意欲が押さえきれなくなり、昭和37年に大工道具だけを担いで、発展し始めたばかりの高槻に出て参りました。
author:kura, category:私の履歴書, 00:18
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