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大丸百貨店心斎橋店の見納め
2016年からの建て替えのため、ダイヤモンドの1000万円均一とか派手な売り納めを開催中の、大丸百貨店に行ってきました。江戸時代の資料を基にした、人形作家さんによる昔の店舗の様子を表現した作品や、古い写真・ポスター等の展示で、しばしタイムスリップを楽しみました。大丸は1717年創業(京都)で、1726年心斎橋店開店、1922年(大正11年)に現在の建物が建てられ、1933年(昭和8年)に新増築工事が完成したそうです。今回の建て替え後、次は半永久的に、この素晴らしい意匠が、保存されるのだろうか。欧米では、地震がないとはいえ、中世の建築が今も健在ですが、今後そんな風に長寿命になるのなら今回の建て替えも意義あるでしょうが・・。外観と内部の一部は保存されるそうですが、どこまでうまく生かされるのか、良い方向へと期待しています。東京でも2015年9月に、和の感覚が生かされた近代建築の名作、ホテル オークラが建て替えのため、あっさりと取り壊されました。維持管理にはコストがかかる割に、利益が生まれないのでしょうが・・2つの名建築が本当に惜しまれます。

大丸の歴史(大丸百貨店公式サイト)
 
大丸の一階はそれ自体がシンボルでは?
 
江戸時代の資料を基にした、人形作家グループの作品
(中西京子とやまと鳳人形スタジオグループさん)


昔の広告(若き中村玉緒さん)

光アップ
ライトアップ

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author:seiki, category:建築の保存・再生, 14:44
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明教寺様改修工事が完成に近づいてきました。
大阪市淀川区下新庄五丁目の明教寺様改修工事が完成に近づいてきました。

明教寺は文明9年(1477年)開山とされる由緒ある寺院で、「親鸞石枕木像」が安置されています。
完成写真はまだですが、施工記録を振り返って、資料をまとめている最中です。

2011年の全体調査から数えると3年がかりの工程の中で、浮かび上がるのは当時の社会情勢の面影です。数次にわたる改修、再建に携わった工匠の想いを大切にくみとり、その思いをこの度の改修工事の技法の中に仕組んで、今日失われつつある伝統意識…『古いものを生かし、新しく開発(改善)』する事をコダワリとして取り組んでいます。古来から、このお寺に集い、関わったすべての人々の想いが、お寺の建築空間の随所に伝わり、その一人一人の思いが、ご先祖様に伝わり、皆様が幸せに繁栄するならば、本当に有難い限りです。このような思いと、長年の施工体験から、「大工だからこそわかる」事の全てを生かし、手造りの伝統工法を採用して施工しています。

門

内陣

装飾


「城地山 明教寺様改修工事の施工経緯とコンセプト」

この度、大阪府大阪市淀川区下新庄5-19-12に建在する明教寺本堂改修工事に際し、当社基本理念の一つである『ふるい<は>新しい』古いものを大切に生かしながら、新しく生まれ変わらせるというテーマの実践の場として、古建築の再生という仕事に取り組む機会を与えて頂きました。

全国各地には多数の古社寺をはじめ、民家など各種の伝統建築があり、我々は日頃からそれらに親しんで成長してきました。特に社寺は昔から善男善女の信仰の場であるため、人々になじみ深く、その建築に興味や畏敬の念をもっておられる方が多いと思います。しかし、最近はそのような建物が、耐震性や利便性の向上という名目で一つまた一つと減ったり、あるいは周辺に高層建築が建つことによって、隠れてしまったりしていることも事実です。

 現在の町並みは、今の大人が育った頃の日本の風景とは、全くと言っていいほど違っています。一棟一棟長い期間をかけて、現場で鋸や鉋を使って建てられた家々や社寺、伽藍などの心温まる懐かしい風景は、ほんのわずかになっていて、日常あまり接する事が出来ません。若者にとっては、建物は何の苦もなく、現場の厳重な囲いの中からポンと出現するもので、地上何十階という高層ビルを見ても、建設用機械があれば容易にできるものだと思って、全く驚きません。昔の人が何年もかけて、機械力のない時代に何から何まで手作りで、力を合わせて建て、何百年と時を経た建物を、数日で解体してしまう現代社会で、現存する建物を丁寧に保存してゆくことは、技術や文化の保存という事だけでなく、「まごころ」の保存というさらに大きな意味を持っていると思います。

この度、改修の施工に取り組むコンセプトとして、特にこだわりを持ったところは、このような機会に社寺建築の構造、意匠、各部の仕口を深く理解し、さらに木造の基本となる日本建築の伝統的技法の中に隠された、自然の摂理に則った先人の知恵を理解する事でした。それを、現代の技術応用して、いかに合理的に、耐震性・耐力性を上げて、心の安らぎが得られるかという事を基本条件としました。

純粋な文化財としての修復のような、予算や工期が取れなくても、お施主様と建築関係者の良心的かつ柔軟な取り組みで、伝統建築を現代に生かす事が出来るのではないでしょうか。その一つの試みとして明教寺改修工事が皆様のご参考になり、伝統建築を少しでも多く市民の手で現代に蘇えらせて、心のこもった建築に囲まれた、幸せな環境と社会を次世代へバトンタッチできるようになればと思います。

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author:seiki, category:建築の保存・再生, 11:21
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中央郵便局の保存、東西の差
阪急百貨店が完成し、大阪中央郵便局の解体が、ほぼ終わって、梅田の面影がすっかり変わりました。辛うじて阪神百貨店がまだ健在ですので、それを頼りに昔の土地勘を取り戻すしかありません。私自身の頭の中の梅田には、大阪駅の周辺の建物では、JR大阪駅の脇に、内部に優雅な装飾がある旧阪急百貨店が佇んでいます。阪神百貨店の周辺は終戦直後の雰囲気の呑み屋街が残るカオス的な空間です。大阪駅の北側には黒っぽいレンガで固められた大鉄局が、重々しく控えている。その後長らく、真新しい阪急グランドビルが、スラリとした姿でスマートに立つ姿と、大阪中央郵便局の堅実な印象に、何か一つ一つの建物だけではない、都市の魅力がありました。大阪中央郵便局は近代建築の代表ともいえる、スマートさと力強さとのバランスがとれ、高窓の開閉用金物一つにも魅力があるのに、普段は特に自己主張しないという感じが、大好きでした。

歴史的な建築物の魅力はあまり多く言わなくても、印象的なものだと思いますが、近代建築はデザインもシンプルですから、価値が解りにくいと思います。けれども最近の建築より、空間や材料の使い方が、贅沢というかゆとりがあるのです。忙しく通り過ぎる人々の多い梅田で、さほど目立たなかったかもしれない大阪中央郵便局は、ほんの少しだけ古い時代の仕事の仕方や物の考え方、お父さん達の実直な生き方をにじませていたような気がします。今は入口の一部を残すのみで地上から消えました。バランスに魅力のある名建築だと思うのに、入口だけで何が伝わるのかなと思います。あちこちにある、○○跡という石碑と同じ程度です。

070917_113
旧大阪中央郵便局

設計:吉田鉄郎 / 逓信省営繕課
施工:清水組(現・清水建設)
竣工:1939年(昭和14年)
用途:郵便局
構造:鉄筋コンクリート造
規模:6階建

当時の逓信省営繕課の吉田鉄郎による設計で、施工は清水組(現・清水建設)、1939年(昭和14年)竣工。西洋近代建築を脱却した現代建築であるとして、また、逓信建築の代表作品のひとつとして、高い評価を得ている。

荘厳なグレーのタイルの外壁、シャープな輪郭、階が高くなるにつれて窓が少なく、階高が低くなる割付けにも独自のモダンな美意識が表されている。

来日したドイツの建築家ブルーノ・タウトが、「伊勢神宮、桂離宮にも通じる合理性・機能性と美しさが融合した、モダニズムの傑作」と、この建物を高く評価した。
(Wikipediaよリ)

東京中央郵便局の保存に関して、当時の鳩山邦夫総務大臣が「重要文化財であるものを重要文化財でなくするというのは、朱鷺を焼き鳥にして食っちゃうような話でしょう」と発言されて、その結果保存部分が拡大したという経緯があります。首都東京の玄関廻りと、商都大阪の玄関では違うという見方もあるかも知れませんが、あまりに差がありすぎと思いませんか。設計図があるはずなので、一度壊しても、その良さを再現する設計もできるはず。大阪中央郵便局もトキのように大切にしてほしいなあと思います。

旧東京中央郵便局跡地に超高層タワーが完成 投稿者 samthavasa
2012年7月に完成したJPタワー

空は皆の共有財産ではなく、土地所有者の財源なんですね。とてもざっくりした感覚ですが、15階程度なら土地所有者の物と思いますが、無限に高い建物が林立したら狭苦しいですね。ある範囲より上空はやはり共有財産としたほうが、気持良いように思えます。容積率で規制されているでしょうが、見直しも必要では?

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author:seiki, category:建築の保存・再生, 02:02
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明教寺様改修工事
 東淀川区の明教寺は、文明9年(1477年)、本願寺第8代宗主蓮如上人の教化を受けた直弟子釋教誓(しゃくきょうせい)によって開山された歴史のあるお寺です。現在の本堂の元となる建物は安永9年(1780年)に第8代住職智曠(ちこう)の時代に再建されました。

 本堂には、親鸞聖人が常陸国で布教中にどんな困難にも耐えようと、石を枕にして寝た故事にちなんだ「親鸞石枕木造」(写真)が現在も安置されています。また、第13代住職善亮(ぜんりょう:新庄西涯)が、「修文学館」という私塾を開いて門人を育成したこを偲んで、門人たちが建てた「西涯(さいがい)先生の碑」もあります。

 むろん今までにも、改修工事は行われていて、一番最近は昭和37年に大規模な改修が行われた事が棟札で解りますが、それからでも約50年を経て、さすがにかなりの沈下や傾きが見られます。2011年春からの詳細な調査を経て、現在は引き起こし、上げ前作業を、チルホール・ジャッキアップなどを組み合わせて、慎重に行っています。

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author:seiki, category:建築の保存・再生, 17:57
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民家の保存
 民家の保存は、わが家から:日本建築にお住まいの方、あなたのお家は隠れた文化材ですよ。

 先日築80年は越していると思われる、お住まいの診断調査に伺いました。最近はこんな在来工法の普通の家が本当に珍しくなってしまいました。何気なく見ると木造で瓦屋根の建物は、皆同じように見えるかもしれませんが、ほぼ同じ様式で建てていても、建物ごとに庭との関わりや、全体のバランスが優れた家や、当時の感覚での豪華さ主体の家などの個性があるものです。建て替える事情は様々なのですが、永く保存される家は、ご家族の幸せが永く続いているおうちで、家自体のバランスも良いことが多いです。落ち着いた家の佇まいが、ゆったりしたご家族の幸せを生んでいるのだろうと思います。使い勝手が悪いから便利に建て替え、または改造をと思っても、その場だけのコスト感覚で捉えるのでなく、ふるさとになる住いを育むコストと考えて、家づくりを大事に考えてこられた結果、永く多少の不便をしのいでこられ、そして予算その他の諸条件が整った時に手を加えるという、大局的な捉え方をお持ちの家系だと思ます。

古民家


 明治時代に日本を訪れた外国人の旅行記に、身分の高い人も庶民も皆、規模の大小はあるが、同様な空間に住んでいる事に感心し、なんて民主的な国なんだろうと驚いたという記述があるそうで、こちらはその着眼点に驚きました。また、村で大きな普請があった時の端材を棟梁が蓄えておいて、予算のない家の補修に利用したり、屋根の葺き替えは村人総出の行事として行って来たというふうなことも聞きます。家は土地と同じように、代々伝えていくべきもので、地域全体の財産でもあるという考え方もあったのですね。
 福田康夫元首相の在任中に『200年住宅』が提唱され、その後『100年住宅』がキャッチフレーズのように使われるようになりましたが、我々大工の本心としては、お施主様がコツコツ蓄財され、大工をはじめ職人一同が苦心して作った住宅は、できるだけ末永く活用して頂きたいもので、そのための計画・品質の確保にさらに工夫を重ねたいと思います。今の目新しさで販売された、商品としての家が、材料的な耐久性だけアップして、100年後に町を埋めつくしたら、産業廃棄物の墓場のような日本になるかも・・と・心配しすぎでしょうか??

《最近の施工例アルバム公開中》
http://picasaweb.google.co.jp/seikikensetsu

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author:seiki, category:建築の保存・再生, 17:26
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